徘徊の旅の中で巡り合った名所や史跡などの「場所」を文書と写真と地図を使って保存するブログ

アーカイブ:2009年 1月 04日

大橋家庭園 苔涼庭

 

本稿は2008年05月10日に、伏見稲荷大社の北側に位置する「大橋家庭園(苔涼庭)」を訪問した際の記録です。明治44年(1911)より4代目・大橋仁兵衛が隠居所として造営したこの庭園は、名作庭家・7代目小川治兵衛(植治)の監修・助言を得つつも、施主自らの構想が色濃く反映された独特の美学を持っています。「苔涼庭(たいりょうてい)」の名は、家業である鮮魚商にちなんだ「大漁」への祈りが込められています。京都市登録文化財である明治期再興の貴重な「水琴窟」や、12基もの多彩な石燈籠が織りなす露地風の意匠について、現所有者との対話や文化財保護の在り方に関する考察を交え、格調高く記述しております。

 

鳥羽伏見戦防長殉難者之墓

 

本稿は2008年05月10日に「鳥羽伏見戦防長殉難者之墓」を訪問した際の訪問記です。仲恭天皇陵の参道脇に広がるこの墓所には、幕末の鳥羽・伏見の戦いで散った振武隊参謀・石川厚狭介ら長州藩士49名が眠っています。東福寺を本陣として伏見方面を守備した長州藩の戦跡を辿りつつ、大政奉還から戊辰戦争開戦に至る激動の歴史的背景を詳述しています。鎌倉時代の廃帝である仲恭天皇の陵墓と、幕末の殉難者の墓地が、時空を超えて一つの聖域の中に整然と共存する特異な空間構成と、伏見の街を見下ろす高台としてのロケーションの意義を格調高く記述しております。

 

仲恭天皇 九條陵

 

本稿は2008年05月10日に仲恭天皇九條陵および皇嘉門院月輪南陵を訪問した際の訪問記です。東福寺の南に隣接する住宅地を抜け、洛南を一望する高台にひっそりと築かれた二つの陵墓を巡ります。承久の乱によりわずか2歳で廃位され、明治に至るまで天皇として認められなかった仲恭天皇の悲劇的な生涯と、保元の乱で讃岐へ配流となった崇徳天皇の中宮・皇嘉門院藤原聖子の数奇な運命を辿ります。明治以降に整備された近代の治定の歴史と、九條家の礎となった最勝金剛院領の背景を交えつつ、戦乱と政争に翻弄された高貴な魂が眠る地の静謐な空気を格調高く記述しております。

 
 

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