アーカイブ:2009年 3月
三栖閘門
本稿は2008年05月10日に、伏見の水運史を象徴する巨大な土木遺産「三栖閘門(みすこうもん)」を訪問した際の記録です。豊臣秀吉による太閤堤の築造や巨椋池(おぐらいけ)の分離工事、角倉了以による高瀬川の開削といった、伏見を日本有数の港町へと変貌させた治水の歴史を紐解きます。昭和4年に完成し、水位差のある宇治川と濠川を結ぶことで年間2万隻以上の舟艇を通航させた閘門のメカニズムと、その役割を終えるまでの変遷を詳述しています。近代化産業遺産として、今なお「伏見の日本酒醸造」を支えた物流の要衝としての威容を伝える姿を格調高く記述しております。
寺田屋
本稿は2008年05月10日に、伏見屈指の史跡であり幕末動乱の舞台となった船宿「寺田屋」を訪問した際の記録です。文久2年(1862年)の薩摩藩士同士による凄惨な「寺田屋事件」と、慶応2年(1866年)の坂本龍馬襲撃事件という、日本の歴史を揺るがした二つの重大事件を軸に、その背景と経緯を詳細に紐解きます。お龍による危急の知らせから龍馬の脱出ルート、隠れ場所となった材木小屋の考察、そして現在の建物が明治期の再建であるという学術的指摘に至るまで、虚実の狭間で今なお人々を惹きつける「伝説の宿」のあり方を格調高く記述しております。
長建寺
本稿は2008年05月10日に、伏見・中書島の地に鎮座する「辨財天長建寺」を訪問した際の記録です。濠川沿いに鮮やかな朱塗りの竜宮門を構えるこの寺院は、元禄12年(1699年)に伏見奉行・建部内匠頭(たけべたくみのかみ)によって創建されました。本尊の八臂辨財天(はっぴべんざいてん)を中心に、ヒンドゥー教の女神サラスヴァティーに遡る弁才天信仰の歴史や、神仏習合の変遷を紐解きます。かつて高瀬川の水運で賑わい、遊郭街として栄えた中書島の守護神としての役割や、現代の境内で遭遇した新選組や花魁姿の参拝客が醸し出す、伏見特有の歴史的な空間美を詳細に記述しております。
伏見の町並み
本稿は2008年05月10日に、酒蔵と運河、そして幕末の動乱が交差する「伏見の町並み」を散策した際の記録です。城下町特有の防御遺構である「四ツ辻の四ツ当たり」や「鍵曲(かぎまがり)」といった屈曲した路地の構造を、会津藩本営となった伏見別院や月桂冠旧本社の意匠と絡めて考察しています。また、伏見七名水に支えられた醸造文化を象徴する山本本家や松本酒造の酒蔵群、さらには近代産業遺産である旧京都電燈伏見発電所の煉瓦建築、そして坂本龍馬ゆかりの寺田屋に至るまで、江戸・明治・大正の各時代が層を成す伏見特有の重厚な都市美を詳細に記述しております。
伏見奉行所址
本稿は2008年05月10日に、幕末維新の転換点となった激戦地「伏見奉行所址」を訪問した際の記録です。かつての奉行所跡地は、現在は景観に配慮した京都市営桃陵団地へと姿を変えていますが、その一角には江戸時代の石垣の発掘調査を記した碑や、明治期の陸軍工兵大隊の跡碑が静かに並んでいます。鳥羽・伏見の戦いにおいて、御香宮神社や桃山丘陵に陣取った新政府軍の「四斤山砲」が、いかにして眼下の奉行所を火の海に変え、幕府軍・新選組を敗走させたのか。地形的分析や当時の焼失範囲の考察を交え、寺田屋をも呑み込んだ戦火の記憶を格調高く記述しております。
魚三楼
本稿は2008年05月10日に、伏見の老舗料亭「魚三楼(うおさぶろう)」を訪問した際の記録です。明和元年(1764年)創業の歴史を誇るこの料亭は、伏見港の鮮魚と湧水を用いた料理で大名屋敷の料理方も務めてきましたが、幕末には激動の戦場となりました。格子に残る「鳥羽・伏見の戦い」当時の生々しい弾痕を確認し、新政府軍の主力兵器であったエンフィールド銃の圧倒的な性能と、それに対する幕府軍・新選組の絶望的な突撃戦を考察しています。静かな門構えに刻まれた「戦争の記憶」を通じ、近代戦への転換点となった歴史的瞬間を格調高く記述しております。


