伏見の町並み
伏見の町並み(ふしみのまちなみ) 2008/05/10訪問
Overview
This article documents a stroll through the historic townscape of Fushimi on May 10, 2008. The report analyzes the unique urban structure of a castle town, such as the “Yotsutsuji-no-Yotsuatar” and “Kagimagari” (crank-shaped alleys) designed for defense, while linking them to sites like the Fushimi Betsuin, once a headquarters for the Aizu Clan during the Boshin War. It explores the fusion of traditional brewing culture, represented by the Gekkeikan and Matsumoto Sake Breweries, and industrial heritage, such as the red-brick Former Fushimi Power Plant. From the iconic Teradaya Inn to the scenic sake storehouses along the Horigawa canal, the narrative captures the multi-layered history of Fushimi, where water, sake, and revolution have shaped the landscape.
概要
本稿は2008年05月10日に、酒蔵と運河、そして幕末の動乱が交差する「伏見の町並み」を散策した際の記録です。城下町特有の防御遺構である「四ツ辻の四ツ当たり」や「鍵曲(かぎまがり)」といった屈曲した路地の構造を、会津藩本営となった伏見別院や月桂冠旧本社の意匠と絡めて考察しています。また、伏見七名水に支えられた醸造文化を象徴する山本本家や松本酒造の酒蔵群、さらには近代産業遺産である旧京都電燈伏見発電所の煉瓦建築、そして坂本龍馬ゆかりの寺田屋に至るまで、江戸・明治・大正の各時代が層を成す伏見特有の重厚な都市美を詳細に記述しております。
伏見奉行所址である桃陵団地を後にし、再び魚屋通に出て近鉄京都線の高架をくぐり京阪電鉄の踏切を越え西に進む。道は大阪町辺りで突き当たり左に曲がる。道なりに進むとすぐにまた魚屋通が現れる。魚屋通はここでクランクしている。また魚屋通に直行する南北に通る道もクランクするため、十字の路を避け、丁字路を二箇所に近接させることで、「四ツ辻の四ツ当たり」という城下町に良く見られる遠見遮断の構造である。この場所が伏見城からはかなり離れているため、伏見奉行所防衛のために設けられたものではないかともいわれている。
またこの四ツ辻の四ツ当たりの場所に伏見御坊 東本願寺伏見別院があった。鳥羽伏見の戦において会津藩の本営となっていたため、この周辺でも激しい市街戦が繰り返され、多くの被害が出た。伏見別院の本堂も損傷を受け、明治18年(1885)に規模を縮小し再建されたが、これも老朽化のため平成2年に解体された。現在は山門とその横の大銀杏のみを残している。
四ツ辻の四ツ当たりを南に進むと右手に日本酒神聖の醸造元山本本家と鳥せい本店がある。この北側の駐車場にもペットボトルを持った人の列が出来ていた。平成伏見七名水のひとつがここにある。山本本家のHPでは伏見七ツ井のひとつ白菊井の湧く現在地に延宝五年(1677)創業したとある。
さらに南に進むと東西に走る立石通が再びクランクする場所に出会う。左に月桂冠本社と右に月桂冠大倉記念館が並ぶ。右に曲がると低く抑えた大倉家本宅の先に月桂冠旧本社が続く。月桂冠は伏見を代表する醸造所である。寛永14年(1637)大倉治右衛門が伏見馬借前で笠置屋という屋号で開業した。明治38年(1905年)に酒銘を月桂冠に改め、昭和19年(1944)には大倉酒造株式会社に社名変更を行った。そして創業350年を機に社名を現在の月桂冠株式会社とした。
大倉家本宅は文政11年(1828)に建てられ、鳥羽伏見の戦においても罹災を免れたが、この建物の北側に連なる町屋の多くは焼失している。旧本社は大正8年(1919)築の伏見でも数少ない大正時代の建造物。平成5年(1993)まで本店として使用され、現在は伏見夢百衆・喫茶処として使用されている。床面積はそれほど大きくはないが、基壇の上に建てられ黒一色に仕上げられたためか町屋とは思えないほどの威厳と重厚感を感じさせる。このクランクした道の角地に、明らかに周囲の酒蔵と比較して規模もデザインも異なっている。周囲の酒蔵とは一線を画す威容と意匠を誇り、この屈曲した路地なればこそ、その美しさが際立つ建築である。この場所で伏見の町並みに鍵曲(かぎまがり)を用いていることを初めて気が付かされた。
月桂冠大倉記念館(明治42年(1909)築)は既に開館時間が過ぎているため、見学は次回の楽しみとする。さらに南に下ると濠川に出る。弁天橋を渡ると右手に長建寺の赤い土塀と竜宮門が見える。
門前の階段を降り濠川の沿いの散策路を月桂冠の酒蔵を見ながら歩き、蓬莱橋のたもとを再び上がると目の前に寺田屋が現れる。
竹田街道(府道115号)を東浜南町あたりで西に入ると町屋と酒蔵の伏見の町並みの中に煉瓦造の大規模な建物が現れる。明治35年(1902)頃に建てられた旧京都電燈伏見発電所である。先斗町などの京都市街地の灯火用の電気を供給する目的で明治21年(1888)に創立し、濠川や東高瀬川が宇治川と合流する伏見港に隣接して伏見発電所は建設された。
その後、歯科用品商の森田歯科商店が昭和16年(1943)に森田製作所として独立した際に、当時すでに使用されなくなった伏見発電所を買い取った。煉瓦造の二棟が接するようにして東西に並び、医療精密機器製造のモリタ製作所本社工場(西棟)、同社の食堂・体育館(東棟)として使われている。
大手筋通が東高瀬川と交差する新大手橋のたもとに松本酒造がある。煉瓦造の煙突に黒板張の酒蔵そして手前に菜の花を置いた写真は酒造の街・伏見の春を代表する光景となっている。寛政3年(1791)松本治兵衛が澤屋という屋号で三十三間堂の西側において酒造業を始めた。大正11年(1922)に伏見の地に蔵を増設し、昭和24年(1949)現在の松本酒造に社名を変更した。平成19年に近代化産業遺産として明治期に造られた煉瓦の煙突と倉庫、そして大正期の木造酒造所群を含めた7件が指定された。
松本酒造には万暁院とその庭園・畫舫園がある。大正時代から構想を練り同時に資材を集め始めたが、実現したのは太平洋戦争をはさんだ30年後の昭和29年(1954)となる。現在は迎賓館として使用されているようで、一般には公開されていなかった。「くみちょー」さんの京都人ブログで見る万暁院と畫舫園(旧リンク:http://kata2.wablog.com/164.html)からは戦後に作られた庭とは思えないほど枯れた雰囲気を出している。
この松本酒造の後、大手筋通を京阪電鉄・伏見桃山駅方面に歩き、ホテルへ向かった。途中で濠川を渡っているので、寺田屋事件の際、坂本龍馬が薩摩藩の救出を待っていた材木小屋の前も通っていることになる。その時は材木小屋の話も知らなかったので、周辺の写真も撮らなかったが、どういう訳かその場所の記憶はある程度鮮明に残っている。
「伏見の町並み」 の地図
伏見の町並み のMarker List
| No. | 名称 | 所在地 | 緯度 | 経度 |
|---|---|---|---|---|
| 01 | ▼ 四辻の四つ当たり | 京都市伏見区大阪町 | 34.9316 | 135.7622 |
| 02 | ▼ 東本願寺伏見別院 会津屯所 | 京都市伏見区大阪町609 | 34.9322 | 135.7615 |
| 03 | 鳥せい本店 白菊井 | 34.931 | 135.7619 | |
| 04 | 大倉家本宅 | 34.9298 | 135.7616 | |
| 05 | 月桂冠旧本社 | 34.93 | 135.7614 | |
| 06 | ▼ 月桂冠大倉記念館 | 京都市伏見区南浜町247 | 34.9297 | 135.7621 |
| 07 | ▼ 長建寺 | 京都市伏見区東柳町511 | 34.9283 | 135.7608 |
| 08 | 蓬莱橋 | 34.9299 | 135.7599 | |
| 09 | ▼ 寺田屋 | 京都市伏見区南浜町263 | 34.9302 | 135.7596 |
| 10 | 旧京都電燈伏見発電所 | 34.9283 | 135.7567 | |
| 11 | ▼ 松本酒造 | 京都市伏見区横大路三栖大黒町7 | 34.9333 | 135.7541 |



















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