徘徊の旅の中で巡り合った名所や史跡などの「場所」を文書と写真と地図を使って保存するブログ

納所と淀小橋



納所と淀小橋(のうそ と よどこばし)  2008/05/11訪問

Overview

This article chronicles a visit on May 11, 2008, to “Noso” and the site of the former “Yodo Kobashi” Bridge, strategic transit points during the Battle of Toba-Fushimi. By analyzing the current elevation differences and road layouts, the report reconstructs the historical landscape of the Uji River, which was once crossed by a massive 120-meter bridge. On January 5, 1868, Shogunate forces retreating from both the Toba and Fushimi fronts converged at this junction, hoping to regroup at Yodo Castle. However, they were met with closed gates as the Yodo Domain defected to the Imperial side. The narrative captures the tactical despair of the Shogunate troops who, denied sanctuary, were forced to continue their retreat toward Hashimoto, marking a decisive shift in the conflict.

概要

本稿は2008年05月11日に、鳥羽・伏見の戦いにおいて幕府軍の退路となった交通の要衝「納所(のうそ)」と「淀小橋(よどこばし)」の跡地を訪問した際の記録です。かつての宇治川に架かっていた全長120メートルを超える淀小橋の痕跡を、現在の府道の高低差や地勢から探り出し、当時の広大な河川景観を考察しています。慶応4年1月5日、鳥羽・伏見の両方面から敗走してきた幕府軍がこの納所に集結しながらも、頼みの淀藩に門を閉ざされ、絶望の中で橋本へと撤退を余儀なくされた歴史的転換点の悲哀を格調高く記述しております。

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納所と淀小橋 淀小橋跡

 井上源三郎が埋葬されたと考えられている辨慶淀店から旧京阪国道を70メートルほど南西に進むと納所の交差点に出る。

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納所と淀小橋 納所交差点 中央の道が府道204号
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納所と淀小橋 納所交差点 中央に入っていく道が千本通

 納所の交差点には6方向から道が入っている。旧京阪国道の府道13号が北東から入り、南西に出て行く。これに府道204号、府道125号、府道124号と千本通の4つの道が交差点に入り込んでいる。府道124号は中書島を起点にほぼ京阪本線と併走する道であり、また千本通は北区鷹峯から始まるが、九条以南は鳥羽街道とよばれている。すなわち、慶応4年1月5日の日に千本通から鳥羽方面の幕府軍が、府道124号からは会津藩と新選組が淀城を目指して撤退してきた交差点と言うことになる。

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納所と淀小橋 納所交差点から淀小橋へ入る府道124号
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納所と淀小橋 写真奥方向に八番楳木に至る

 納所の交差点から府道124号に入り、100メートルくらい進むと淀小橋の石標が左手に現れる。ここは周囲の住宅地と異なり、一段高い場所に府道と平行して細い生活道があるが、生活道が土手となり現在の府道あたりが宇治川の河川敷となっていたように見える。この地勢こそが、かつて滔々たる宇治川の流れを跨いだ淀小橋の痕跡を物語っている。記録によると淀小橋は幅4間、長さ71間あったといわれている。1間1.8メートルとすると120メートルを超える橋だったことが分かる。もし石標の位置が橋の納所側のたもととすると真直ぐ南に位置していた対岸は現在の府道125号の京阪本線の近くあたり達する。これにより当時の宇治川は伏見方面から府道124号に沿い、淀城を囲むように流れていたであろうことが推察される。
 淀小橋と対になるように幅3間、長さ137間の淀大橋(旧リンク:http://homepage2.nifty.com/sa-osamu/kyokaidou2.htm)が淀と美豆の間に架けられていた。現在の府道15号からNTT西日本京都支店淀別館の辺りに架かっていたと思われる。大阪側からは先ず淀大橋を渡り、淀城の城下に入り、さらに淀小橋を渡り京都伏見方面に進むということになる。2つの橋と淀城は京阪の交通の要衝となっている。

 慶応4年(1868)1月5日、鳥羽街道の冨の森から撤退してきた幕府軍は納所の陣地で再び新政府軍を迎え撃つことを計画していた。妙教寺の本堂に不発砲弾が飛び込んだりもしたが、納所ではそれほど大規模な戦闘にならず、幕府軍は淀小橋を渡り淀城下に雪崩れ込んだのである。しかし幕府軍が淀城に立て籠もり新政府軍を迎え撃つことはできなかった。淀城は城門を閉じて幕府軍の進入を拒んだ。そのため敗走した幕府軍は1月5日の夜には橋本まで撤退せざるを得なかった。

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納所と淀小橋 右手の地図から八番という地名が分かる

「納所と淀小橋」 の地図





納所と淀小橋 のMarker List

No.名称所在地緯度経度
 納所の町並み 京都市伏見区納所町34.9085 135.7184
 淀小橋 京都市伏見区納所34.9078 135.7198
01   旧京阪国道 34.9083 135.7195
01   旧京阪国道 34.9065 135.7175
02   千本通 34.9084 135.7182
03   府道204号 34.9077 135.7175
04   府道125号 34.9069 135.7191
05   府道124号 34.9077 135.7206
    

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