徘徊の旅の中で巡り合った名所や史跡などの「場所」を文書と写真と地図を使って保存するブログ

高瀬川



高瀬川(たかせがわ) 2008/05/15訪問

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高瀬川 一之舟入

 高瀬川は慶長19年(1614)に、京都の中心部と伏見を結ぶために角倉了以・素庵父子が開削した運河である。高瀬川の名前は、輸送に使われた平底の舟を高瀬舟と呼んでいたことから付けられたものであり,角倉川ともいわれていた。
 角倉家は室町幕府に仕える医者の家系であったが、了以の祖父・宗忠が商人の手腕を発揮し、帯を独占的に販売する組合である帯座の座頭職を手に入れ、その資金をもとに現在の金融業である土倉業を営むようになった。その後、次男の宗桂は土倉業を引き継ぐ傍ら、天文年間に2度も明に渡り、中国の先進医術を学んでいる。
 角倉了以は天文23年(1554)に宗桂の子として生まれている。父から諸外国の経済事情などを聞かされ、家長となった18歳のときには既に海外貿易がもたらす莫大な利益に着目していたと言われている。そして文禄元年(1592)豊臣秀吉の許可を受け,現在のベトナムである安南国に貿易船を派遣するなど貿易商としての活躍が始まる。 角倉家は茶屋四郎次郎の茶屋家、後藤庄三郎の後藤家とともに京の三長者とも言われたが、茶屋家、後藤家が徳川家康に取り入って急成長したのに対し、角倉家はそれ以前に基盤を確立していた商人と言うこともできる。現在にも当てはまるが、海外貿易は非常に儲かる商売であるが、リスクも大きかった。そのため、角倉家が次第に貿易業から安定した収入の得られる商売に移行していくことは当然の帰結でもある。

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高瀬川 一之舟入
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高瀬川 舟入乃 灯影に明く 春の雪 乙郎(那須乙郎)

 了以は商人であると同時に、国内の河川開発に従事し,大堰川、富士川、高瀬川、天竜川等の開削を行い、舟運を開いた人物として歴史に名を記している。
 了以が京都の西を流れる大堰川開掘の願書を出したのは、家康が江戸幕府を開いて3年後の慶長11年(1606)のことであった。30数キロ上流から嵯峨までの舟運に関する権利を得て、わずか6カ月間で竣工させている。この開削によって搬送船が嵯峨に着き、丹波地方の農作物は運ばれ始めたことで、嵯峨近辺は商人の往来が多くなったと記録されている。また材木は筏で運送され、険しい山道を人馬で物資を搬送していた頃に比べれば、その利便は格段の差を生じた事が伺える。角倉家は莫大な資金を投じて開削したが、開削後の水運による収益をすべて独占する事で、さらなる利益を得たと考えられる。角倉家の行った商売と同じビジネスモデルを探すと鉄道経営にたどり着く。了以が400年前に行ったことは、正に山を開き、レールを敷設し機関車を走らせ旅費を徴収すること同じものであった。

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高瀬川 角倉氏邸址

大堰川開掘後、方広寺大仏殿再建のための資材輸送を命じられていた了以は、淀川の上流で調達した木材を筏に組み、京の三条まで水路を使い運び込むことを思いついた。しかしそのためには鴨川を遡らなければならない。これを実現するために了以は京と伏見の間をつなぐ運河として高瀬川の開削に着手する。
 工事は大きくは3次に分けて行われた。第1次工事は慶長16年(1611)から開始され、慶長19年に完成した。水がいつも濁らない工夫として、樋門や汚水抜きの溝なども配置されている。このことからも、高瀬川開削工事は単に水を流す水路を作るだけではなく、その後の運用まで考えられたものであった事が分かる。
 角倉家は高瀬川開発に7万5千両を費やしたとされている。当然、大堰川と同様に高瀬川においても運河航行には通行料が設定された。当時の通行料は、幕府納入金1貫文、舟の維持費250文、角倉家手間賃1貫250文と定められており、一回の船賃が合計2貫500文となる。これから計算すると、角倉家に納められる金額は年間1万両を超えるものだったと考えられる。開発に投資した費用は、利子を除くと8年間で回収できたこととなる。高瀬川ができるまで、大坂方面からの物資は淀川を舟で運ばれ、鳥羽で陸揚げされ、京都市中へ陸路で輸送されていた。この通航費を支払っても陸路を人馬で運ぶよりは採算性に優れていたから、江戸時代を通じて長く利用され続けた。
 明治2年(1869)角倉家は高瀬川支配を罷免され、京都府に移管された。その後も物資運送に利用されたが,鉄道の開通などによって次第にその機能を失い,大正9年(1920)に水運は廃止された。

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高瀬川 二之舟入

 角倉了以が開削した江戸時代初期の高瀬川は,二条大橋西畔から鴨川の水を引き入れ,鴨川西岸を南下。四条橋の下流で鴨川と合流するが,五条大橋の南で分岐し九条まで流れる。東九条で鴨川と交叉し伏見に至り宇治川へ注ぐ,延長約10キロメートルの運河だった。鴨川と完全に分離されたのは17世紀末のことだった。
 三栖閘門の項でも書いたように、鴨川によって分断された上流側を高瀬川、下流側を東高瀬川と新高瀬川と呼ぶ。また七条から南側の高瀬川の流路についても暗渠化とともに、かなり頻繁に付け替えが行われてきたことが、「Tenkei」さんのHP・河の行方からも分かる。了以の開削時期の正確な流路はよく分からない。三栖閘門の項でも書いたように、鴨川によって分断された上流側を高瀬川、下流側を東高瀬川と新高瀬川と呼ぶ。また七条から南側の高瀬川の流路についても暗渠化とともに、かなり頻繁に付け替えが行われてきたことが、「Tenkei」さんのHP・河の行方からも分かる。了以の開削時期の正確な流路はよく分からない。でも書いたように、鴨川によって分断された上流側を高瀬川、下流側を東高瀬川と新高瀬川と呼ぶ。また七条から南側の高瀬川の流路についても暗渠化とともに、かなり頻繁に付け替えが行われてきたことが、「Tenkei」さんのHP・河の行方からも分かる。了以の開削時期の正確な流路はよく分からない。河の行方からも分かる。了以の開削時期の正確な流路はよく分からない。からも分かる。了以の開削時期の正確な流路はよく分からない。 現在、鴨川によって分断されている地点は東福寺南門の鴨川縁である。新高瀬川は伏見区景勝町から宇治川の合流地点までの間をさす。この間は了以が開削した東高瀬川を昭和初期に付け替えを行った部分であり、真直ぐで太い流れとなっている。付け替えにより元々の東高瀬川はわずかに松本酒造のあたりで顔を出しているように忘れ去られてしまった。

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高瀬川 旧高倉小学校前にある角倉了以翁顕彰碑

 二条大橋南西には,高瀬川最上流の物資積みおろしを行った一之舟入があり,高瀬川の支配権と諸物資の輸送権を独占した角倉家はここに邸宅を構え,高瀬舟の運航を管理し,運送業者から手数料を徴収していた。
 高瀬川で用いられた高瀬舟は、長さは約13メートル、幅は2メートルの平底の小型船であった。京都方面へ向う上り舟は、満載で15石(2.25トン)積,下り舟はその半分であった。宝永7年(1710)頃には、伏見から二条間に188艘が就航していた。

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高瀬川 旧高倉小学校前 北方向

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高瀬川 旧高倉小学校前 南方向

「高瀬川」 の地図





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  旧高瀬川077
  旧高瀬川078
  旧高瀬川079
  旧高瀬川080
01  角倉氏邸址 京都市中京区35.0125 135.7702
02   角倉了以別邸跡 35.0128 135.7704
03  高瀬川一之舟入 京都市中京区木屋町通二条下ル一之船入町35.0122 135.7704
04  三之舟入址 京都市中京区35.0113 135.7704
05   角倉了以翁顕彰碑 35.0059 135.7703
    

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