徘徊の旅の中で巡り合った名所や史跡などの「場所」を文書と写真と地図を使って保存するブログ

佳水園 その4

 

本稿は2008年5月12日にウェスティン都ホテル京都の数寄屋風別館「佳水園」へ宿泊した際の記録、第4回です。今回は、村野藤吾が設計した客室「雪の三」の内部構成と、ホテルと旅館の境界線上にある独特のサービス形態について考察しています。廊下のアルコーブに茶室の露地の感覚を見出し、限られた空間の中に開き戸、引き戸、襖を巧みに配置した村野建築のディテールを詳述。シンプルながらも計算し尽くされた障子の桟の意匠や、村野自身がデザインした照明器具など、機能性と数寄の美意識が共存する宿泊体験を格調高く綴っています。

 

佳水園 その3

 

本稿は2008年5月12日にウェスティン都ホテル京都(佳水園)を訪問した際の記録の第3回です。今回は建築そのものから視点を広げ、明治期における京都のホテル黎明期の歴史を紐解いています。油商・西村仁兵衛による「吉水園」の開業から「都ホテル」への発展、そして競合した「也阿弥ホテル」や「常盤ホテル(現・京都ホテルオークラ)」との熾烈な再編劇について詳述しています。大津事件や勧業場の払い下げといった歴史的事件を交えながら、蹴上の地に都ホテルが京都を代表する格式ある宿泊施設として確立されていく過程を格調高く綴っています。

 

佳水園 その2

 

本稿は2008年5月12日にウェスティン都ホテル京都の「佳水園」を再訪・考察した記録の続編です。七代目小川治兵衛の長男であり、夭折の天才と謳われた小川白楊(保太郎)の遺作「自然岩盤を活かした枯滝組」と、それを批評的に継承した建築家・村野藤吾による「白砂の庭」の対比を主軸に据えています。かつての総理大臣・清浦奎吾の別荘「喜寿庵」からホテルへと受け継がれた歴史的背景を紐解きながら、醍醐寺三宝院に着想を得た瓢箪模様のモダンな意匠や、父・治兵衛の遺作「葵殿庭園」との因縁深い繋がりについて、建築と造園の交差点から格調高く考察しています。

 

佳水園

 

本稿は2008年5月12日にウェスティン都ホテル京都の「佳水園」を訪問した時の訪問記です。戦後日本を代表する建築家・村野藤吾の建築哲学を、彼の経歴や「現在主義(プレゼンティスト)」という独自の思想から紐解いています。東山・華頂山の複雑な傾斜地に建つ佳水園において、小川白楊が手がけた野趣溢れる岩盤の庭と、村野が醍醐寺三宝院に着想を得て設計した白砂の庭が見事に調和する様を描き、商業建築の枠を超えた名建築の真髄を格調高く考察しています。

 

神泉苑

 

本稿は2008年5月12日に神泉苑を訪問した時の訪問記です。平安京造営時に大内裏に接して設けられた禁苑の歴史を辿り、かつては現在の二条城をも含む広大な敷地を誇った往時の姿に想いを馳せています。空海による祈雨の伝説や善女龍王の勧請、祇園祭の淵源となった御霊会の執行など、信仰と儀礼が交差する聖地としての変遷を詳述しています。徳川家康による二条城築城に伴う縮小を経て、今なお竜頭鷁首の舟を浮かべ平安の遺風を伝える静謐な境内の様子を、格調高く綴った一編です。

 

二条城

 

本稿は2008年5月12日に二条城を訪問した時の訪問記です。足利・織田・豊臣の時代を経て、徳川家康が慶長8年(1603)に築城した現・二条城の変遷を中心に、幕末の大政奉還に至るまでの日本史の転換点を詳述しています。国宝・二の丸御殿の雁行する建築美や小堀遠州による豪壮な庭園、さらには桂宮御殿を移築した本丸御殿など、武家文化の精華と朝廷との微妙な力関係を、現地の石碑や遺構を辿りながら格調高く考察した紀行文です。

 

平安神宮神苑

 

本稿は2008年5月12日に平安神宮神苑を訪問した時の訪問記です。明治から昭和にかけて作庭された一万坪に及ぶ広大な池泉回遊式庭園の構成を、南・西・中・東の四神の名を冠した各庭ごとに詳述しています。名造園家・七代目小川治兵衛(植治)の手による明治・大正期の作庭と、後年に追加された南神苑の歴史的背景を対比させつつ、琵琶湖疏水を引き込んだ水の流れや、豊臣秀吉ゆかりの遺構を用いた臥龍橋の意匠など、近代京都の美意識が凝縮された庭園の魅力を紀行文として格調高く考察しています。

 

平安神宮

 

本稿は2008年5月12日、京都市左京区に鎮座する「平安神宮(へいあんじんぐう)」を訪れた際の記録です。明治28年(1895)、平安遷都1100年を記念して創建された同神宮の歴史的背景を詳述。明治維新後の京都の衰退を打破しようとした地元の情熱や、建築史家・伊東忠太と宮廷建築家・木子清敬による設計の舞台裏に迫ります。平安京の朝堂院を約8分の5スケールで復元した「大極殿」や、独特な楼閣建築である「蒼龍楼」「白虎楼」の復元を巡る考証、そして時代祭の運営に至るまで、近代京都の再生を象徴する壮大なプロジェクトの全容を考察しています。

 

満願寺

 

本稿は2008年5月12日に、京都市左京区にある日蓮宗「満願寺(まんがんじ)」を訪問した際の記録です。現在は閑静な住宅街に佇む同寺ですが、その由緒は平安時代に菅原道真の霊夢を見た多治比文子(たじひのあやこ)にまで遡り、北野天満宮の創建に関わる「文子天神」を鎮守として祀っています。また、境内には法勝寺執行・俊寛僧都の住居跡と伝わる「閼伽井(あかい)」があり、平安後期の悲劇的な歴史を今に伝えています。江戸時代に日蓮宗へと改宗し、洛陽十二支妙見巡りの一つ(辰の方位)としても信仰を集めるなど、天神信仰、法勝寺の遺構、妙見信仰という重層的な歴史が交差する境内の様子を記した記録です。

 

白河院

 

本稿は2008年5月12日に、京都市左京区の「白河院(しらかわいん)」を訪問した際の記録です。この地は平安時代、藤原良房の別荘「白河殿」から始まり、後に白河天皇に献上されて院政の舞台、さらには巨大な九重塔を誇った「法勝寺」の寺域となった歴史的重層性を持つ場所です。現在の建物と庭園は、大正8年(1919)に下村忠兵衛の邸宅として、武田五一の設計、七代目小川治兵衛(植治)の作庭により再興されたものです。私立学校教職員共済組合の宿泊施設となった現代において、往時の院政期への追憶と、植治による近代名園の成熟した姿を、歴史的背景を交えて記した記録です。

 
 

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