宇治橋
本稿は2008年05月11日に、日本三古橋の一つとして名高い「宇治橋(うじばし)」を訪問した際の記録です。大化2年(646年)の創始に遡る悠久の歴史と、平成8年(1996年)に伝統的な桧造りの意匠で架け替えられた現代の姿を対比させています。橋の守り神「橋姫」を祀り、かつて豊臣秀吉が茶の湯の水を汲ませたと伝わる張り出し部分「三の間」の風情や、西詰に立つ紫式部像に対する批評的な考察を交え、宇治川の滔々たる流れとともに刻まれてきた物語の世界を情緒豊かに記述しております。
放生院
本稿は2008年05月11日に、宇治橋の東詰に位置し、古くから橋の守護と管理を担ってきた真言律宗の寺院「放生院(ほうじょういん)」を訪問した際の記録です。聖徳太子の発願、秦河勝による建立という伝承から、大化2年(646年)の道登による宇治橋架橋、さらに鎌倉時代の叡尊による再興に至るまで、宇治川の水運と橋の安全に深く関わってきた歴史を紐解きます。特に、日本三古碑の一つに数えられる国重要文化財「宇治橋断碑(うじばしだんぴ)」の発見と復元の経緯、そして訪問時に目にしたブルーシートに包まれた痛々しくも神秘的な断碑の姿を中心に、宇治の精神的拠点としての寺院の佇まいを記述しております。
淀城
本稿は2008年05月11日に、京都と大阪を結ぶ水陸の要衝に築かれた「淀城(よどじょう)」を訪問した際の記録です。茶々(淀殿)ゆかりの室町・桃山期の「淀古城」と、徳川幕府が伏見城の廃城に伴い西国支配の拠点として築いた江戸期の「淀城」という二つの歴史的層を対比させています。特に、慶応4年(1868年)の鳥羽・伏見の戦いにおいて、幕府の重職を務めた稲葉氏の淀藩が新政府軍に恭順し、敗走する幕府軍に対して城門を閉ざした「歴史的拒絶」の瞬間と、その責任を取って自刃した田邊治之助の悲劇に焦点を当てています。朝鮮通信使の船着場「唐人雁木」の記憶や、廃城後の変遷を含め、時代の転換点としての淀城の役割を詳細に記述しております。
納所と淀小橋
本稿は2008年05月11日に、鳥羽・伏見の戦いにおいて幕府軍の退路となった交通の要衝「納所(のうそ)」と「淀小橋(よどこばし)」の跡地を訪問した際の記録です。かつての宇治川に架かっていた全長120メートルを超える淀小橋の痕跡を、現在の府道の高低差や地勢から探り出し、当時の広大な河川景観を考察しています。慶応4年1月5日、鳥羽・伏見の両方面から敗走してきた幕府軍がこの納所に集結しながらも、頼みの淀藩に門を閉ざされ、絶望の中で橋本へと撤退を余儀なくされた歴史的転換点の悲哀を格調高く記述しております。
井上源三郎埋葬推定地
本稿は2008年05月11日に、新選組六番隊組長・井上源三郎の首級と刀が埋められたと伝えられる「埋葬推定地」を訪問した際の記録です。慶応4年(1868年)1月5日の千両松の戦いで戦死した源三郎。その甥であり若干12歳で伯父の首を抱えて撤退した井上泰助の悲痛なエピソードを軸に、長らく不明とされていた埋葬場所が、遺族の記憶と執念の調査によって「淀の欣浄寺(廃寺)」跡付近であると特定されていく過程を詳細に紐解きます。日野の試衛館時代から続く絆と、時を越えて語り継がれた家族の記憶が、現在の淀の町並みの中でどのように結実したのかを格調高く記述しております。
八番楳木 戊辰之役東軍戦死者埋骨地
本稿は2008年05月11日に、鳥羽・伏見の戦い(戊辰戦争)における激戦地・千両松での戦死者を祀る「八番楳木(はちばんうめき)東軍戦死者埋骨地」を訪問した際の記録です。慶応4年(1868年)1月5日、新選組や会津藩別選隊が壊滅的な打撃を受けた「千両松の戦い」の歴史的背景を詳述しています。氏名不詳のまま葬られた多くの旧幕府軍兵士たちの悲哀や、昭和45年に建立された慰霊碑に刻まれた「一瞬の時差により(官軍か幕軍か分かれた)」という客観的かつ情けある歴史認識に着目しています。また、京都競馬場の拡張工事に伴う「新選組の幽霊騒動」と供養のエピソードを交え、今なおこの地に漂う動乱期の記憶を格調高く記述しております。
大黒寺
本稿は2008年05月10日に、「薩摩寺」の通称で知られる真言宗東寺派の「大黒寺(だいこくじ)」を訪問した際の記録です。島津家の祈願所として深い縁を持つこの寺院には、歴史の荒波に翻弄されながらも己の信念や「義」に殉じた人々が静かに眠っています。宝暦治水事件で多大な犠牲を出し責任を取った家老・平田靭負、伏見奉行の悪政を命懸けで直訴した「伏見義民」の七人、そして幕末の動乱期に寺田屋事件で命を落とした薩摩九烈士。一見静かな境内が、いかに重層的な歴史の悲劇と、それを語り継ごうとする人々の記憶を内包しているか、その精神的背景を格調高く記述しております。
三栖閘門
本稿は2008年05月10日に、伏見の水運史を象徴する巨大な土木遺産「三栖閘門(みすこうもん)」を訪問した際の記録です。豊臣秀吉による太閤堤の築造や巨椋池(おぐらいけ)の分離工事、角倉了以による高瀬川の開削といった、伏見を日本有数の港町へと変貌させた治水の歴史を紐解きます。昭和4年に完成し、水位差のある宇治川と濠川を結ぶことで年間2万隻以上の舟艇を通航させた閘門のメカニズムと、その役割を終えるまでの変遷を詳述しています。近代化産業遺産として、今なお「伏見の日本酒醸造」を支えた物流の要衝としての威容を伝える姿を格調高く記述しております。
寺田屋
本稿は2008年05月10日に、伏見屈指の史跡であり幕末動乱の舞台となった船宿「寺田屋」を訪問した際の記録です。文久2年(1862年)の薩摩藩士同士による凄惨な「寺田屋事件」と、慶応2年(1866年)の坂本龍馬襲撃事件という、日本の歴史を揺るがした二つの重大事件を軸に、その背景と経緯を詳細に紐解きます。お龍による危急の知らせから龍馬の脱出ルート、隠れ場所となった材木小屋の考察、そして現在の建物が明治期の再建であるという学術的指摘に至るまで、虚実の狭間で今なお人々を惹きつける「伝説の宿」のあり方を格調高く記述しております。
長建寺
本稿は2008年05月10日に、伏見・中書島の地に鎮座する「辨財天長建寺」を訪問した際の記録です。濠川沿いに鮮やかな朱塗りの竜宮門を構えるこの寺院は、元禄12年(1699年)に伏見奉行・建部内匠頭(たけべたくみのかみ)によって創建されました。本尊の八臂辨財天(はっぴべんざいてん)を中心に、ヒンドゥー教の女神サラスヴァティーに遡る弁才天信仰の歴史や、神仏習合の変遷を紐解きます。かつて高瀬川の水運で賑わい、遊郭街として栄えた中書島の守護神としての役割や、現代の境内で遭遇した新選組や花魁姿の参拝客が醸し出す、伏見特有の歴史的な空間美を詳細に記述しております。


