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柊家
本稿は2008年5月13日、京都を代表する名旅館の一つ「柊家(ひいらぎや)」に宿泊した際の記録です。文政年間の創業以来、180年以上にわたり旅人を迎えてきた歴史ある佇まいを、建築的な視点から精緻に描写しています。天窓からの光が差し込む玄関の路地風の演出や、茶室の腰掛を思わせる床几、そして「来者如帰(らいしゃにょき)」の額に込められた、我が家のような寛ぎを提供するという「おもてなし」の精神。数寄屋造りの旧館と2006年に誕生した新館が調和する空間構成を辿り、過度な装飾を排しながらも細部に宿る洗練された京の宿の神髄を伝えています。
表千家と裏千家
本稿は2008年5月13日、京都・小川通に並び立つ茶道の本山「表千家」と「裏千家」を訪れた際の記録です。千利休による「わび茶」の大成と、織田信長・豊臣秀吉という時の権力者との緊張感に満ちた関係、そして利休の切腹という悲劇を経て、孫の千宗旦がいかにして千家を再興・継承させたかの歴史を詳述しています。宗旦が究極のわびの空間として構築した「不審菴(ふしんあん)」と、隠居所に設けた「今日庵(こんにちにあん)」の成り立ち、そして三人の息子たちによって「三千家(表千家・裏千家・武者小路千家)」が成立した経緯を、茶室の構造や精神性と重ね合わせて描き出しています。
百々橋
本稿は2008年5月13日、足利将軍ゆかりの地から「応仁の乱」の激戦地として知られる「百々橋(どどばし)」の跡地を訪ねた際の記録です。花の御所(室町第)の邸内に安禅所として創建され、内親王が代々門跡を務めた「大聖寺門跡」の歴史を紐解きつつ、かつての小川(こかわ)の流れを辿ります。昭和38年頃まで寺之内通小川に架かっていた百々橋が、かつて西軍・山名宗全と東軍・細川勝元が対峙した戦乱の象徴であったことを詳述。現在は暗渠化され、一部の礎石が現地や小学校、洛西竹林公園に分散保存されている現状を記すとともに、織田信長による旧二条城築城の際の「石仏転用」という衝撃的な歴史エピソードにも触れています。
足利将軍室町第址
本稿は2008年5月13日、足利将軍家の邸宅であり室町幕府の名の由来となった「室町第(花の御所)」の跡地を訪ねた際の記録です。今出川通室町に立つ石碑を起点に、足利尊氏による幕府創設から、三代義満による「花の御所」の造営、そして応仁の乱による焼失と十五代義昭の追放に至る約240年間の変遷を三つの時代に分けて詳述しています。下京の三条坊門殿から上京の室町第へと政治の中枢が移り、公家の町に武家が浸透していった歴史的意義を考察。幕府が実際に「室町」の地に拠点を置いた期間は意外にも約100年間に過ぎなかったという事実に光を当てつつ、将軍権力が最も安定し文化が花開いた時代の象徴としての「花の御所」を浮き彫りにしています。
京都御苑
本稿は2008年5月13日、京都の都心に広がる巨大な緑地「京都御苑(きょうとぎょえん)」を散策した際の記録です。幕末の「内裏圖(だいりず)」を紐解き、かつて200以上の公家邸宅がひしめき合っていた「公家町」の歴史的景観を解説。明治の東京遷都による荒廃から、明治天皇の御沙汰による内裏保存事業、そして大正大礼に向けた整備を経て、現在の「国民公園」へと至る変遷を辿っています。宮内庁、内閣府、環境省が複雑に管理を分担する現在の運営形態や、240年以上の歴史を刻む九門の現況など、都市公園でありながら皇室文化の象徴でもある御苑の多層的な魅力を描き出しています。
京都御所 その2
本稿は、京都御所参観記の続編として、主要殿舎以外の門や車寄、そして広大な庭園に焦点を当てた2008年5月13日の記録です。公卿が参内した「宣秋門」や「御車寄」、身分に応じた控えの間である「緒大夫の間」など、宮廷社会の厳格な階級構造を反映した建築遺構を詳述。さらに、大正御大礼で新設された「新御車寄」や「春興殿」にも触れ、近代における御所の変容を辿ります。後半では、建物と対照的なゆとりを見せる「御池庭」や、生活空間に寄り添う「御内庭」の作庭意匠を観察し、自然景観と建築美が調和する皇宮の深奥を丁寧に描き出しています。
京都御所
本稿は2008年5月13日、五百年以上にわたり皇居とされた「京都御所」を参観した際の記録です。平安京の当初の内裏から、北朝の光厳天皇が即位した里内裏「土御門東洞院殿」を基盤とする現在の地へと定着した歴史的変遷を詳述しています。江戸時代末期の安政2年(1855年)に再建された現存の殿舎群を中心に、平安の古制を追求した「紫宸殿」や「清涼殿」の復古的意匠と、そこに混在する江戸時代の建築技術(禅宗様の影響など)について鋭く考察。また、儀式の場としての正殿から、書院造へと移行した生活空間の「常御所」、歴史的な小御所会議の舞台となった「小御所」まで、朝廷の権威と日常が同居する壮大な建築空間を多角的に描き出しています。
丸太町十二段家
本稿は2008年5月13日、京都御苑近傍の「丸太町十二段家」を訪れた際の食記です。仙洞御所と京都御所の参観の合間、旅の昼食として選ばれた「元祖お茶漬け」の魅力を紹介しています。看板メニューの出し巻き玉子のボリュームと温かな味わい、そしてお櫃で供されるご飯と多彩な季節の漬物。一膳目はそのままで、二膳目からはほうじ茶をかけて頂くという、京都らしい簡素ながらも贅を尽くした食体験を綴っています。また、屋号の由来が歌舞伎『忠臣蔵』に因むことや、祇園の十二段家本店との歴史的経緯についても触れ、京都の食文化の奥深さを描き出しています。
仙洞御所 その2
本稿は、仙洞御所参観記の後半として、南池の景観美と、この庭園に深い愛着を注いだ後水尾上皇の生涯を、江戸幕府との峻烈な政治的対立の歴史とともに紐解く記録です。猪熊事件や紫衣事件、春日局の無位無官での参内といった「朝廷の権威失墜」を狙う幕府の干渉に対し、譲位や落飾をもって抵抗し続けた上皇の不屈の精神を詳述。庭園においては、光琳の屏風絵を彷彿とさせる「八ツ橋」や、小田原から運び込まれた11万1千個の平石が敷き詰められた「洲浜(一升石)」、そして李白の詩に由来する茶亭「醒花亭(せいかてい)」など、人工と自然が高度に融合した「寛永・寛文文化」の精華を、緻密な観察眼で描き出しています。
仙洞御所
本稿は2008年5月13日、京都御苑内に位置する「仙洞御所(せんとうごしょ)」を参観した際の記録です。退位した上皇の御所を意味する「仙洞」の語源から説き起こし、寛永4年(1627年)の後水尾上皇による造営から幕末の焼失に至る歴史を詳述しています。特に、作庭の名手・小堀遠州が当初手がけた「バロック的」とも評される直線的・人工的な意匠と、そのわずか30年後、自然との調和を重んじた後水尾上皇自身による大規模改修を経て現在の姿へと至った変遷に注目。北池の豊かな自然美や、近衛家から移築された茶室「又新亭(ゆうしんてい)」、紀貫之邸跡の伝承が残る「阿古瀬淵」など、広大な庭園に潜む歴史の重層性を描き出しています。


