アーカイブ:2009年 7月 05日
本稿は2008年5月13日、足利将軍ゆかりの地から「応仁の乱」の激戦地として知られる「百々橋(どどばし)」の跡地を訪ねた際の記録です。花の御所(室町第)の邸内に安禅所として創建され、内親王が代々門跡を務めた「大聖寺門跡」の歴史を紐解きつつ、かつての小川(こかわ)の流れを辿ります。昭和38年頃まで寺之内通小川に架かっていた百々橋が、かつて西軍・山名宗全と東軍・細川勝元が対峙した戦乱の象徴であったことを詳述。現在は暗渠化され、一部の礎石が現地や小学校、洛西竹林公園に分散保存されている現状を記すとともに、織田信長による旧二条城築城の際の「石仏転用」という衝撃的な歴史エピソードにも触れています。
本稿は2008年5月13日、足利将軍家の邸宅であり室町幕府の名の由来となった「室町第(花の御所)」の跡地を訪ねた際の記録です。今出川通室町に立つ石碑を起点に、足利尊氏による幕府創設から、三代義満による「花の御所」の造営、そして応仁の乱による焼失と十五代義昭の追放に至る約240年間の変遷を三つの時代に分けて詳述しています。下京の三条坊門殿から上京の室町第へと政治の中枢が移り、公家の町に武家が浸透していった歴史的意義を考察。幕府が実際に「室町」の地に拠点を置いた期間は意外にも約100年間に過ぎなかったという事実に光を当てつつ、将軍権力が最も安定し文化が花開いた時代の象徴としての「花の御所」を浮き彫りにしています。
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