徘徊の旅の中で巡り合った名所や史跡などの「場所」を文書と写真と地図を使って保存するブログ

アーカイブ:2009年 7月

柊家

 

本稿は2008年5月13日、京都を代表する名旅館の一つ「柊家(ひいらぎや)」に宿泊した際の記録です。文政年間の創業以来、180年以上にわたり旅人を迎えてきた歴史ある佇まいを、建築的な視点から精緻に描写しています。天窓からの光が差し込む玄関の路地風の演出や、茶室の腰掛を思わせる床几、そして「来者如帰(らいしゃにょき)」の額に込められた、我が家のような寛ぎを提供するという「おもてなし」の精神。数寄屋造りの旧館と2006年に誕生した新館が調和する空間構成を辿り、過度な装飾を排しながらも細部に宿る洗練された京の宿の神髄を伝えています。

 

表千家と裏千家

 

本稿は2008年5月13日、京都・小川通に並び立つ茶道の本山「表千家」と「裏千家」を訪れた際の記録です。千利休による「わび茶」の大成と、織田信長・豊臣秀吉という時の権力者との緊張感に満ちた関係、そして利休の切腹という悲劇を経て、孫の千宗旦がいかにして千家を再興・継承させたかの歴史を詳述しています。宗旦が究極のわびの空間として構築した「不審菴(ふしんあん)」と、隠居所に設けた「今日庵(こんにちにあん)」の成り立ち、そして三人の息子たちによって「三千家(表千家・裏千家・武者小路千家)」が成立した経緯を、茶室の構造や精神性と重ね合わせて描き出しています。

 

百々橋

 

本稿は2008年5月13日、足利将軍ゆかりの地から「応仁の乱」の激戦地として知られる「百々橋(どどばし)」の跡地を訪ねた際の記録です。花の御所(室町第)の邸内に安禅所として創建され、内親王が代々門跡を務めた「大聖寺門跡」の歴史を紐解きつつ、かつての小川(こかわ)の流れを辿ります。昭和38年頃まで寺之内通小川に架かっていた百々橋が、かつて西軍・山名宗全と東軍・細川勝元が対峙した戦乱の象徴であったことを詳述。現在は暗渠化され、一部の礎石が現地や小学校、洛西竹林公園に分散保存されている現状を記すとともに、織田信長による旧二条城築城の際の「石仏転用」という衝撃的な歴史エピソードにも触れています。

 

足利将軍室町第址

 

本稿は2008年5月13日、足利将軍家の邸宅であり室町幕府の名の由来となった「室町第(花の御所)」の跡地を訪ねた際の記録です。今出川通室町に立つ石碑を起点に、足利尊氏による幕府創設から、三代義満による「花の御所」の造営、そして応仁の乱による焼失と十五代義昭の追放に至る約240年間の変遷を三つの時代に分けて詳述しています。下京の三条坊門殿から上京の室町第へと政治の中枢が移り、公家の町に武家が浸透していった歴史的意義を考察。幕府が実際に「室町」の地に拠点を置いた期間は意外にも約100年間に過ぎなかったという事実に光を当てつつ、将軍権力が最も安定し文化が花開いた時代の象徴としての「花の御所」を浮き彫りにしています。

 
 

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