アーカイブ:2009年 6月 10日
本稿は2008年5月12日にウェスティン都ホテル京都(佳水園)を訪問した際の記録の第3回です。今回は建築そのものから視点を広げ、明治期における京都のホテル黎明期の歴史を紐解いています。油商・西村仁兵衛による「吉水園」の開業から「都ホテル」への発展、そして競合した「也阿弥ホテル」や「常盤ホテル(現・京都ホテルオークラ)」との熾烈な再編劇について詳述しています。大津事件や勧業場の払い下げといった歴史的事件を交えながら、蹴上の地に都ホテルが京都を代表する格式ある宿泊施設として確立されていく過程を格調高く綴っています。
本稿は2008年5月12日にウェスティン都ホテル京都の「佳水園」を再訪・考察した記録の続編です。七代目小川治兵衛の長男であり、夭折の天才と謳われた小川白楊(保太郎)の遺作「自然岩盤を活かした枯滝組」と、それを批評的に継承した建築家・村野藤吾による「白砂の庭」の対比を主軸に据えています。かつての総理大臣・清浦奎吾の別荘「喜寿庵」からホテルへと受け継がれた歴史的背景を紐解きながら、醍醐寺三宝院に着想を得た瓢箪模様のモダンな意匠や、父・治兵衛の遺作「葵殿庭園」との因縁深い繋がりについて、建築と造園の交差点から格調高く考察しています。
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