佳水園
ウェスティン都ホテル京都 佳水園(かすいえん) 2008/05/12訪問
Overview
This article is a travelogue of a visit to Kasuien, the sukiyaki-style annex of the Westin Miyako Hotel Kyoto, on May 12, 2008. Designed by the renowned architect Togo Murano, Kasuien embodies his philosophy of “Presentism,” which prioritizes the needs of the current era over rigid adherence to past styles. The text describes the dramatic landscape where the rugged, natural rock garden by Hakuyo Ogawa meets the refined courtyard garden designed by Murano, featuring symbolic gourd and circle patterns in white sand. It reflects on how Murano’s masterful design integrates modern hotel functionality with traditional Japanese aesthetic sensibilities.
概要
本稿は2008年5月12日にウェスティン都ホテル京都の「佳水園」を訪問した時の訪問記です。戦後日本を代表する建築家・村野藤吾の建築哲学を、彼の経歴や「現在主義(プレゼンティスト)」という独自の思想から紐解いています。東山・華頂山の複雑な傾斜地に建つ佳水園において、小川白楊が手がけた野趣溢れる岩盤の庭と、村野が醍醐寺三宝院に着想を得て設計した白砂の庭が見事に調和する様を描き、商業建築の枠を超えた名建築の真髄を格調高く考察しています。
神泉苑の押小路通の門から出て堀川御池の交差点に向けて歩いていくと、交差点の手前に市営地下鉄東西線の二条城前駅がある。ここから東西線に乗車し、六地蔵方面行きで五番目の駅 蹴上で下車する。地上に出るとほぼ目の前にウェスティン都ホテルのエントランスが現れる。
都ホテル新館と佳水園の設計者は村野藤吾である。
村野は明治24年(1891)に佐賀県唐津に生まれ、北九州市で育った。福岡県小倉工業学校機械科を卒業し、一旦は八幡製鉄所に入社するが、従軍中に学問に興味を持ち早稲田大学理工学部電気工学科に入学する。途中で建築学科へ転学したため、卒業したときには27歳と建築家としてはかなり遅いスタートとなった。卒業後、大正7年(1918)渡辺節建築事務所に入所し、約十年間渡辺のもとで合理的なオフィスビルの設計を行うことでクライアントに応える多様性を身に付けた。後に渡辺から「売れる図面を描いてくれ」と言われたと村野は語っている。売れる図面とは、一人よがりでなく、ツー・マッチ・モダンでもなく、クライアントが受け入れることのできる図面を指すことを学んだ。
昭和4年(1929)独立し、村野建築事務所を開設した時は38歳であった。独立後すぐに森五商店東京支店(昭和6年(1931))、そごう百貨店大阪本店(昭和10年(1935))、宇部市民館(昭和12年(1937))などを設計し、戦争を挟んで志摩観光ホテル(昭和26年(1951))、世界平和記念聖堂(昭和28年(1953))と後世に残すべき作品を続けて生み出していった。
読売会館(昭和32年(1957))、新歌舞伎座(昭和33年(1958))、横浜市庁舎(昭和34年(1959))と多様性にあふれる作品と同じ年代に都ホテル新館(昭和35年(1960))と佳水園(昭和34年(1959))が生まれた。この時点で独立後ほぼ三十年、70歳の少し手前であった。普通ならばこのくらいの年には設計活動を終了するのだが、村野の創作活動はさらに続く。
日本生命日比谷ビル(昭和38年(1963))、カトリック宝塚教会(昭和41年(1966))、ルーテル学院大学本館(昭和45年(1970))、箱根樹木園休息所(昭和46年(1971))から箱根プリンスホテル(昭和53年(1978))や新高輪プリンスホテル(昭和57年(1982))と発想は柔軟で瑞々しく、そして建物完成度は高く成熟した作品群が生み出されていく。昭和59年(1984)に93歳で亡くなるまで創作活動を中断することはなかった。
村野の作品には設計者の好みは見えるが、自らのスタイルに対する固執はないように思える。例えばオフィスビル作品においても、毎回異なった方法論で設計を行っている。そのためそれぞれが全く別の設計者が作り出したかのように見えることもある。これはビルディングモデル毎に「○○はこうあるべきだ」という決め事を持たずに設計していることに起因している。よく村野は「私はプレゼンティストだ」と発言し、プレゼンティストであること、つまり現在主義を強い信念で貫いてきた。
大正8年(1919)に「建築と社会」に「様式の上にあれ」という論文を発表している。この中に、
現在に生の享楽を実感する現在主義者吾等に、過去と未来の建築様式を与へんとすることは不必要である、寧ろ罪悪である。
私は時代の真相に忠実なれ、そしてそうすることが最も道徳的であり厳密なる現在主義者の立場は茲にあり
とある。学生時代は分離派(セセッション)一辺倒だった村野が、渡辺節建築事務所に入社し様式建築の設計を行わなければならなくなった時期にこの論文は書かれている。しかし自分の目指す建築が、現在の事務所で実現できないことを綴るために書かれた訳ではなく、過去の様式を含めて現在の価値観で見直すという作業を行うことを宣言している。特に村野の場合は、モダニズム建築だけにその解答を求めなかったところが凄い。
つまりモダニズム建築も数寄屋建築も、また過去の様式建築と同じ系列で扱っていることだ。ただクライアントが現在望むものを実現するためにどのように設計を進めていくかということを最優先する姿勢がここには見える。
やはり村野の有名な言葉に、99%と1%がある。99%クライアントの望みを聞いて設計するが、1%の村野が作品に残る。その1%が作品の性格を左右することがある。前半はクライアントに対する宣伝文句のようにも聞こえる。しかし後半はそれでも他の人とは違うものが私には創れますという自信の表れである。村野は昔の作品の増改築を依頼されると、その当時の図面を消しゴムで消して描き変えるということを読んだことがある。普通の設計者はこのようなことは行わない。建築はクライアントのものと割り切れても図面は設計者のものであるという専有意識が強くあるので、過去の図面を消し去ることができない。村野にはそのような意識もなく、また過去の解答例が現在の最善の解答に成りえないという、自分の図面を消し去るほどの冷徹な現在主義があったのだろう。
都ホテルは、村野藤吾のホテル建築を考える上で初期の志摩観光ホテルと晩年の箱根プリンスホテルと新高輪プリンスホテルをつなぐ重要な作品である。既に何度にもわたる改修で新築当時の姿を見ることが困難であると思われる。20年前頃に宿泊した時は、まだ村野作品のイメージが強く残っていた。その時は半日かけてこの巨大なホテルの中を探検して廻った。当時のホテルは、それに値するような建築であった。しかし現在このホテルを利用する人は、そのようなものより、宿泊料に見合う現代的な快適さをこの建物に求めているのだろう。このあたりが商業建築の仕方のない現実である。だからこそコマーシャリズムの中で設計を行ってきた村野が現在主義と言う言葉を使うことで達観できたのであろう。
おいうのが
佳水園へは、ホテルの7階で降りて一旦外に出る。都ホテルは東山 華頂山の北側斜面に建てられたため、建物の地盤面は非常に複雑のものとなっている。最初に見た建物は、佳水園の側面にあたる。この建物に渡り廊下が付けられているが、これは後になって加えられたものであろう。傾斜地にかけられたので、屋根が高く、雨の時にはあまり役に立たないように思える。この大きな山荘風の側面を見ながら坂を少し登ると、藁葺の門が現れる。右手には佳水園のサインが入っている。この門を潜り、石段を何段か登ると右手に自然の岩盤をそのまま活かした小川白楊の庭が現れる。当日は遅い到着となったので、やや暗い中に黒くてごつごつした壁というのが第一印象であった。翌朝、再び鑑賞するとその表情の豊かさに驚きを感じた。まさに白楊による「自然美の凝縮」と評される通り、作為を用いずに作庭された庭である。これはである。この斜面の上にも離れと思われるものがいくつか見えるが、ここからは逆に白楊の庭を眼下に見下ろすことができる。またその印象は変わるのかもしれない。
さらに数歩進むと目の前に有名な白砂に苔で描いた瓢箪と円が現れる。白楊の斜面の庭を受けるように佳水園の建物はコの字型に配置され、その中庭に瓢箪と円が描かれている。明らかに醍醐寺三宝院の庭園を模したことが分かる。後で分かったことだが、門の右手にあった佳水園のサインは醍醐寺の座主 麻生文雄猊下の揮毫によることということで、そのあたりの関係はクリアになっているようだ。
佳水園のメインエントランスは、コの字の左上にある。庭に面しては廊下が付けられているため、各部屋に行く途中で白楊の庭と瓢箪を鑑賞できるようになっている。
佳水園の建物と庭については、次の項でもう少し詳しく見ていく。













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