徘徊の旅の中で巡り合った名所や史跡などの「場所」を文書と写真と地図を使って保存するブログ

藤森神社



藤森神社(ふじのもりじんじゃ)  2008/05/11訪問

Overview

This report describes a visit to Fujinomori Shrine in Fushimi, Kyoto, on May 11, 2008. Established around the 3rd century by Empress Jingu, the shrine has a long history and currently enshrines twelve deities. It is well-known for its main hall, which is the oldest existing structure from the Imperial Palace’s Kashiko-dokoro. The shrine is famous for the “Fujinomori Festival,” associated with the origin of the Iris Festival (Boy’s Day). People visit here to pray for good luck and academic success. It also has a unique legend about “lending land” to the nearby Fushimi Inari Taisha Shrine.

概要

本稿は2008年5月11日に藤森神社を訪問した時の訪問記です。醍醐寺を後にし、伏見の地に鎮座する古社を訪ねました。神功皇后による創建伝承に始まり、歴史の荒波の中で合祀を繰り返してきた同社の複雑な変遷を辿ります。特に、伏見稲荷大社との間に伝わる「土地貸し」の伝承や、西殿に祀られた早良親王ら怨霊信仰の側面、さらには現存最古の賢所遺構である本殿の価値に触れ、勝運と学問の神として崇敬される由緒を記しています。

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藤森神社 南門

 17時に醍醐寺は閉門となったため、醍醐寺を後にし京都市営地下鉄東西線醍醐駅を目指して歩く。随心院の項で書いたように、東西線の走るあたりを谷としてその東側は少し高くなっている。そのため緩やかな下り道ということになる。醍醐駅から六地蔵駅まで戻り、六地蔵駅から京阪電鉄に乗り換え、墨染駅で下車する。伏見街道を北上し藤森神社を目指す。

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藤森神社 鳥居脇の石垣

 神功皇后3年(203)、三韓征伐から凱旋した神功皇后(仲哀天皇の后)が、山城国・深草の里の藤森に纛旗(とうき:軍旗の中で一番大きい旗の意)を立て、武具を塚に納め神祀を行ったことが藤森神社の発祥である。本殿東に旗塚がその塚である。また延暦13年(794)、桓武天皇より弓兵政所の称が授けられ、遷都奉幣の儀式が行われた。

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藤森神社 蒙古塚 蒙古軍の将兵と武具を埋めたといわれている

 当初の祭神は、現在本殿に祀られている素盞鳴命・別雷神・日本武尊・応神天皇・仁徳天皇・神功皇后・武内宿禰の7座であった。
 その後、永享10年(1438)に崇道尽敬皇帝(舎人親王)とその父 天武天皇を祀る神社を合祀し東殿(藤尾社)とし、同様に文明2年(1470)に早良親王、伊豫親王、井上内親王を祀る神社も合祀し西殿(塚本社)としている。
 そのため現在の藤森神社の祭神は12柱となる。

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藤森神社 駈馬神事が行われるだけにに立派な絵馬舎
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藤森神社 絵馬舎横にある神馬像

 藤森神社の公式HPを読む限り、近郷の社がこの地に合祀された理由を理解することは困難である。東殿については、後花園天皇の勅により足利義教が山頂の稲荷の祠を藤尾の地に移すため、天平宝字3年(759)より深草の藤尾(現在の伏見稲荷)に鎮座していた社を藤森神社に遷座したという説明がある。また西殿についても、延暦19年(800)に早良親王を祀る神社として塚本の地(東山区本町16丁目)に建立されたが、度々の火災にあい、深草極楽寺南の地に小天皇と称して祀られていたことを経て、応仁の乱の後、藤森に移されたとある。 また東殿は日本書紀の撰者であり文武に優れた舎人親王を祀り、皇室や藤原一門の崇敬も厚く、貞観2年(860)には清和天皇の宝祚に際し奉幣の神事が行われている。
 これに対して西殿の早良親王は造長岡宮使 藤原種継暗殺事件に連座し捕らえられ、淡路国に配流の途中憤死している。
 伊豫親王も謀反の疑いをかけられ、自害。後に無実であることが認められている。
 井上内親王は夫 光仁天皇を呪詛したという疑義がかけられ、皇后を廃され幽閉の後、不自然な死を迎えている。このように上御霊神社にも祀られている早良親王、井上内親王を含んでいることからも西殿には怨霊を慰めるという目的もあるのだろう。藤森神社のHPには、負の側面としての怨霊信仰には深く触れず、国家鎮護の征討将軍としての功績に光を当てている。
 現在も伏見稲荷大社周辺の住民が藤森神社の氏子であることを含め、伏見稲荷大社や城南宮の真幡寸神社との関係について多くの疑問点があり、創建にまつわる諸説が語られることとなっている。深草地域の文化「保存・継承・創造」プロジェクト実行委員会が運営しているサイト・未来へ紡ぐ深草の記憶には、藤森神社と稲荷大社との複雑な関係をめぐる説話が掲載されている。これによると、伏見稲荷大社の土地はもともと藤森神の土地であり、稲荷神が土地の借用を申し入れたものであった。そのため、藤森祭の神輿は、伏見稲荷大社境内に入り、神輿の担ぎ手が「土地返しや、土地返しや」と掛け声をかける風習が昭和の中頃まであったとしている。これが「稲荷は神、藤森は氏子」という有名な「土地貸し」伝承である。

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藤森神社 割拝殿
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藤森神社 本殿
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藤森神社 本殿

 本殿は宮中賢所の建物を正徳2年(1712)に賜ったもので、現存する賢所としては最古のもの。その他に重要文化財八幡宮社、大将軍社等の建造物がある。境内には名水 不二の水が湧き出し、この水を汲むためにペットボトルを持った人が多く見かける。

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藤森神社 旗塚

 毎年5月5日に菖蒲の節句発祥の祭として知られる藤森祭が行われる。尚武は菖蒲とともに勝負に通じるといわれ、勝運をよぶ神として信仰を集めている。また舎人親王を御祭神としてお祀りしていることから学問の神としての信仰も深い。

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藤森神社 旗塚

「藤森神社」 の地図





藤森神社 のMarker List

No.名称所在地緯度経度
 藤森神社 京都市伏見区深草鳥居崎町60934.9513 135.7717
    

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