南禅寺 本坊
南禅寺 本坊(なんぜんじ ほんぼう) 2008/05/12訪問
Overview
This report covers a visit to the Nanzen-ji Honbo (Main Abbot’s Quarters) on May 12, 2008. The Dai-hojo (Grand Hojo), an Important Cultural Property, is said to have been relocated from the Imperial Palace and features stunning sliding door paintings by the Kano school. The main attraction is the “Leaping Tiger Garden,” a dry landscape garden designed by Kobori Enshu, which beautifully incorporates the surrounding Higashiyama mountains as a “borrowed scenery.” The report also explores several modern Zen gardens within the precinct, such as the Nyoshin-tei and Kagon-tei, reflecting the continuous evolution of Japanese garden design.
概要
本稿は2008年5月12日に南禅寺本坊を訪問した時の訪問記です。勅使門から続く伽藍の東端に位置する本坊にて、御所より移築されたと伝わる格調高い大方丈と小方丈を訪ねました。小堀遠州の手による枯山水「虎の児渡しの庭」を中心に、その正面性や東山を借景とした巧みな石組の構成を分析しています。また、昭和期に作庭された如心庭や六道庭、華厳庭など、伝統を継承しつつ新たな美を追求する庭園群の変遷と、それらを支える作庭師の系譜についても詳しく記した記録です。
南禅寺 本坊は、南禅寺の勅使門、山門、法堂の軸線上の東端に建てられていることからもこの伽藍において重要な施設であることが分かる。建物は南側より庫裏、大玄関、大方丈と小方丈そして裏側に座禅や講演会の行われる龍渕閣(りょうえんかく)と茶室不識庵・窮心亭が並ぶ。
拝観は庫裏から入り、大玄関を通り、まず方丈前の庭園越しに方丈を見ることとなる。方丈は大方丈と小方丈がL字型に組み合わされている。大方丈の南面は方丈前庭に面し、入母屋造、柿(こけら)葺屋根を持つ。天正年間(1573~1593)に豊臣秀吉により寄進された御所の御殿を、慶長16年(1611)後陽成天皇より拝領移築したとされている。南禅寺の公式HPでは、
寺伝では、この大方丈は天正年間(1573-1592年)の内裏清涼殿を移建したものとされていますが、清涼殿ではなく女院御所の対面御殿を移築したものとの説もあります。
と両論を併記している。これに対して、Wikipediaの記述は2026年4月時点で下記のように女院御所の対面御殿が大方丈として下賜されたと説明している。
慶長16年(1611年)には、豊臣秀吉が天正年間(1573年 – 1593年)に建てた女院御所の対面御殿が下賜され大方丈とされた。
小方丈のほうも伏見城の小書院を移築したと南禅寺栞では説明している。屋根の構造から推察すると大方丈と同時期、あるいはそれ以降に移築あるいは新築されたものだろう。伏見城の遺構と伝承されるものは多く見かけるが、なかなか実証できていないようだ。Wikipediaの南禅寺では寛永年間(1624~1643)の建物としている。これに対する出典はつけられていないので、残念ながらこれ以上確認することはかなわない。伏見城は寛永2年(1625)に廃城となっているので、時期的には一致するかもしれないが、実証を待つ伝承の域を出ないものであろうか。
大方丈の内部の六間は、狩野元信・狩野永徳作と伝わる襖絵と障壁画で埋められている。小方丈の障壁画は狩野探幽の作とされている。
方丈前庭は小堀遠州の作庭による枯山水庭園。虎の児渡しの伝承を表現しているとも言われている。
それほど奥行きのない方丈前庭の約三分の二には白砂が敷き詰められている。塀際の三分の一の部分にゆったりとした曲線状に苔地が作られ、その上に石組みと樹木を配した非常にシンプルな構成となっている。方丈の縁側に座り庭を眺めると奥行きの少ない平面的な構成とともに強い正面性が感じられる。六基の石と三本の樹木によって構成された左側の先には三つの小さな刈り込みが置かれている。また六基の石は色も形も異なるが、塀際に置かれた大きな三基の石は明らかに、左から中央にかけて徐々に小さくなっている。三つの刈り込みと併せて正面性の中に左から右への動きを表現していることが分かる。
都林泉名勝図会を見ると現在、庫裏の屋根が描かれていないことに気がつく。大正6年(1917)高徳庵が現在の地に移され、その跡地に大正8年(1919)庫裏が建てられたようである。もしこの庫裏が見えないならば、その先に見える東山三十六峰の羊角嶺大日山の特に右手に下っていく線が美しく眺められたと思う。この美しい借景を活かすことこそが、この地に造る庭のテーマだったのではないか。そのために左から右への流れを表現するように石は配置されたと考える。
今一度方丈中央から大玄関の方向に戻り、前庭を東側から見る。正面に法堂の大きな屋根が見え大方丈の軒線と築地塀によって囲まれた空間の中に、樹木の枝先を結ぶ線、石の配置を結ぶ線、苔と白砂の境界線など法堂に向かって伸びていく線が見えてくる。方丈に入るときは人工の法堂の屋根に意識を集中させ、方丈の中央に座すと大きな東山の自然の中に溶け込んでいくという構成を目指していたのではないか。
南禅寺本坊には方丈前庭の他にいくつかの庭があるが、中田さんのHPによると、いずれも新しく作られた庭であるようだ。確かにそのようにも見える。
拝観順路は方丈南面から始まり、時計回りとなっている。
如心庭は小方丈の西面に作られた枯山水の庭であり、前からの続きとしてある程度の方丈前庭のイメージを持たせて作られているように見える。ほぼ庭全面に白砂を敷き詰め、その上に石を配し、外部とつながる小さな門からの敷石を除くと庭の北隅の苔地だけに樹木を置いている。構成する要素を方丈前庭と揃えたことは良かったと思われる。
方丈の北庭に六道庭とよばれる庭があり、雁行した渡り廊下が方丈と龍渕閣と茶室不識庵・窮心亭をつないでいるので、渡り廊下から角度を変えてみることができる。
渡り廊下の先まで進むと、左に龍渕閣があり、右に涵龍池という大きな池のある龍吟庭が見える。ここが南禅寺本坊の最も奥の北庭になる。この庭の入口の位置に大きな石が置かれている。よく見ると4つ以上の部分に割れている。どうして割れた石が置かれているか聞けなかったが、非常に存在感のあるよい形をした石である。
渡り廊下を方丈まで戻ると方丈の東庭 華厳庭が現れる。庭の東側に南禅寺垣を立て込むことで庭の領域を背景の東山から明らかにしている。竹垣に茶色の穂が縦縞のストライプのように入り、モダンな印象を受ける。裏側は建仁寺垣と同じ構造だということだ。
嘉永元年(1848)より御用庭師を務めている植彌加藤造園が本坊を含め南禅寺の多くの庭園を手がけている。5代目加藤次郎と6代目加藤彌寿雄が、昭和41年(1966)南禅寺小方丈庭園、翌42年には六道庭、そして昭和58年(1983)に華厳庭を作庭している。
「南禅寺 本坊」 の地図
南禅寺 本坊 のMarker List
| No. | 名称 | 所在地 | 緯度 | 経度 |
|---|---|---|---|---|
| 01 | 南禅寺 本坊 庫裏 | 35.0109 | 135.7945 | |
| 02 | 南禅寺 本坊 大玄関 | 35.0111 | 135.7946 | |
| 03 | 南禅寺 本坊 大方丈 | 35.0113 | 135.7944 | |
| 04 | 南禅寺 本坊 小方丈 | 35.0114 | 135.7943 | |
| 05 | 南禅寺 本坊 龍渕閣 | 35.0119 | 135.7943 | |
| 06 | 南禅寺 本坊 方丈前庭 | 35.0112 | 135.7944 | |
| 07 | 南禅寺 本坊 如心庭 | 35.0114 | 135.7942 | |
| 08 | 南禅寺 本坊 六道庭 | 35.0116 | 135.7944 | |
| 09 | 南禅寺 本坊 龍吟庭 | 35.0119 | 135.7946 | |
| 10 | 南禅寺 本坊 華厳庭 | 35.0115 | 135.7946 |


















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